一般社団法人日本POPサミット協会
会長 安達 昌人
季節の移り変わりが足早ですが、皆さん方には、お元気にご活動のことと推察します。
さて、スポーツのビッグイベントの話題としては、今年の3月22日に「2023 WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)」で、侍ジャパンが決勝戦でアメリカを下して優勝し、喜びのニュースは長期間に及びました。大谷翔平ブームは今もいっそう盛んです。
昨年の11月~12月には、「FIFAワールドカップ2022」がサッカーファンを熱狂させました。日本は対コスタリカ戦で敗退しましたが、その時、森保一監督が選手たちにかけた励ましの言葉の一節が、注目されました。
「過去は変えられないが、未来は変えられる」、つまり先を目指して奮起しようというもの。
この言葉は、正確には「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる(You cannot change others or the past. You can change yourself and the future.)」 といった文言の引用で、カナダの精神科医エリック・バーン(Eric Berne)の名言とされるものです。⦅エリック・バーン著「人生脚本のすべて」(星和書店)⦆
他人とは、相手に対して変わるためのキッカケを作ったり、背中を押してあげることは出来るが、最終的にはその本人がどう判断し、どう行動するかという問題で、だから、他人を変えることは出来ない。
自分が変わるのは、すべて自分自身の問題なので、意識的に自分を変えることができる。未来も同様に、自分自身の努力しだいで変えることが出来るというものです。
というわけで、自分が今のまま何もしなかった場合は、何もしなかった未来が訪れ、何か大きな変化を起こした場合は、未来も変わるということになります。
以上が、エリック・バーンの言わんとしている、誰にでも納得できる理論です。
しかし、自分を変えるということは、実際には、それほど簡単ではないでしょう。
そのヒントの一つは、まず「今いる環境をガラッと変えると、自分を変えられることができる」というもの。環境を変えれば、新しい課題にぶつかる、出会う人も変わる、そして新たな発見が生まれて、新たな考え方が出来る。そうすると、新たな行動を起こせ、行動が変わっていけば、新たな結果が生まれる、ということです。なぁ~だ、と思われるような、しごく当たり前のヒントです。
大切なのは自分自身が変わることを決意して、環境を変え「新しいことをする」。つまり、知らないことに挑戦することの重要さを説いていると言えます。
とは言え、会員の皆さんには、すでにもう、いろいろと新しいことに挑戦されているのではないでしょうか。環境をガッラと変えるかどうかはともかく、例えばIT関連の新しい技法を学んだり、身近な園芸に取り組んだり、楽器をマスターすべく教室に通ったりと、それなりに「自分磨き」をされていると思います。
私事で恐縮ですが、今の自分にもう未来はないことを心得てはいるものの、やはり自分を変えるべき、というささやかな願望で、最近、「英会話セット」をネット購入してパソコンに取り入れました。今さら英会話と言ったところですが、実は「英語」の教職員免許証を持っていながら、ヒヤリングは苦手。アメリカに旅行した時、帰る頃にようやく、現地の人達の話を少し聞き取ることが出来た程度です。
訪日する欧米の人達と話して、その地の事情を知りたいと思います。そして、可能ならば、オーストラリアに旅行してみたいとも願います。
何故、オーストラリアなのか。「SDGs報告書2022版」(毎年6月に発表)の達成度ランキングで、オーストラリアは6位とかなり高いためです。オーストラリアは、達成項目の中で「14:海の生物多様性」「15:陸の生物多様性」の面で、優位にあるようです(ちなみに達成度で1位~3位は、北欧のフィンランド、スウエーデン、デンマーク。一方、日本は19位と低いランク)。生存多様性に優れ、比較的訪れやすいオーストラリアの自然環境に触れてみたいものです。
今一つは、「エシカル消費」を自分の新しい課題に出来ないか、ということです。
皆さんは「エシカル消費」のことをご存じですか?
「エシカル(Ethical)」は「倫理的な」という意味で、気候変動や人権損害などの社会問題を考えながら、モノを買ったりすることです。
気候変動については、例えば、2022年にパキスタンで発生した大洪水により、国の3分の1が水没し、1700人以上が亡くなっているように、世界の気象災害は過去50年間で5倍に増加していると言われます。
国連気候変動に関する政府間パネル(JPCC)は、「人間活動が地球を温暖化させてきたことは、疑う余地がない」としています。
生物多様性も危機的状況です。環境NGOのWWF(世界自然保護基金)は、1970年と比べると、生物多様性は約70%も減少していると報告しています。
人権面での課題も重大です。世界の子どもの10人に1人が児童労働に従事していて、カカオやコットンなどの生産で、かなりの過剰な児童労働が行われているようです。私たちに身近なチョコレートや衣服は、子供たちの労働に支えられているのかもしれません。《以上は「エシカル白書2022~2023」より》
こうした課題に対して、消費者が出来ることは、人権、社会、地球環境に配慮した商品やサービスを選ぶこと、すなわち、目の前の商品がどのように作られ、自分は何を選んでどう使うか、モノの過去・現在・未来を考えての選択が「エシカル消費」とされます。
ただし、「エシカル消費」は幅広い分野にわたるため、何から始めればよいかは難しいところ。身近なものとして「認証ラベル・マーク」は、その基準の一つとされます。
途上国の人権に配慮した「国際フェアトレード認証」や、水産資源と環境に配慮した漁業で獲られた証しであるMSC「海のエコラベル」、農薬や化学肥料などの化学物質に頼らない「有機JASマーク」、社会・経済・環境(持続可能性の3つの柱)の強化につながる手法で生産された「レインフォレスト・アライアンス認証」、正しく管理された森林から生産された林産物の使用に関わる「FSC認証」、オーガニックコットンの世界基準により日本で製造されたことを示す「JOCA会員ラベル」などがそれに当たります。
認証ラベル・マークのいろいろ
国際フェアトレード認識ラベル
MSC海のエコラベル
有機JASマーク
レインフォレスト・アライアンス認証
FSC認証
JOCA日本会員ラベル
さらに、エシカルな暮らしのルールとして「7R」も提唱されています(一般社団法人エシカル協会資料より)。すでに、おなじみの言葉も多いと思います。
●Rethink=今必要か、買う前に立ち止まって考える
●Refuse=ポリ袋など、不用のものを断る
●Reduce=使うものを減らす
●Repair=修理して長く使う
●Reuse=再使用・再利用する
●Repurpose=別のものとして再生する
●Recycle=再資源化する
私たちはこれまで、POP広告を指導したり作成する際に、消費者のベネフィットを重点としていますが、いずれにせよ、商品の購買を促すツールとして取り組んできました。
しかし、今日の状況にあって、それだけで良いのか。
モノを買う消費者にさらに賢明になってもらい、エシカルな感覚で品選びをしてもらうことが大切です。「買物は投票」という言葉がありますが、消費は商品を作り出す企業に対する意思表示とも言われます。賢い消費者が求めていることを知れば、企業もよりエシカルな商品・サービスを提供することになるでしょう。
今や日本では、デジタルな手法も含めて、経済の活発化が進められています。その状況にあって、販売促進とは違う観点に立つ「エシカル消費」の理念を、POP広告でどう表現するかは、実に難しい課題です。皆さんも、一緒に考えていただけませんか。
以上、今回は「自分を変える」と「新しいことへの取り組み」の2点について述べてみました。皆さん方のいっそうのご活躍を期待いたします。
一般社団法人日本POPサミット協会
会長 安達 昌人
明けましておめでとうございます。皆さん方には、お元気に新年を迎えられたこととお喜び申し上げます。
さて、今年の干支は「兎」ですが、今回は兎にちなんだ文章を綴ってみようと思います。
まず、干支の「卯」や「兎」の字体は、象形文字から転化したものと言われます。
「卯」は「同形のものを左右対称」に置いた象形で、同価値のものを交換する、左右に開いた門から入る、草木の芽吹きなどが想定され、十二支の第四位、兎の意味も表すようです。
「兎」はそのままウサギの象形で、今の文字からも想像できます。ぴょんと跳びはねるような姿態がイメージされます。
また、兎の数え方は一匹ではなく、一羽と数えます。一羽と数える由来は諸説ありますが、獣肉を食べることに宗教的な忌避感があった日本では、鳥の仲間だから食べて良いと、こじつけて呼んだという説が有力です。
日本ではこれまで、日常的に兎肉はあまり食用としませんが、フランス料理などでは人気の食材です。しかし、昔は日本でも食べていて、他にイノシシ肉などは「山鯨」と魚に譬えた隠語に変え、精が付く貴重な動物性タンパク質源としたようです。
ただし、今や人気のジビエでは、イノシシ、シカ、熊、そしてウサギと種類は豊富です。
兎が出てくる誰もが知る物語といえば「うさぎと亀」。実はイソップの寓話が元のようです。うさぎと亀が山の頂上を目指して競争しますが、途中でうさぎが居眠りしたため、亀が先にゴールして勝利を収めるという話。「どれだけ自分の能力に自信があっても、油断せずに物事に取り組むことが重要」という教訓です。
怖い話としては、おとぎ話の「かちかち山」。ある所にお爺さんとお婆さんが住んでいて、タヌキが畑でいたずらを繰り返すので、お爺さんがタヌキを捕獲して、「タヌキ汁」にしようとお婆さんに話します。お爺さんが出かけたすきに、タヌキはお婆さんをだまして殺し、「ばばあ汁」に料理してお爺さんをだまして食べさせます。ホラー映画もどきです。
相談を受けたウサギは復讐を企てます。ウサギはタヌキを芝刈りに誘い、背負った芝に後ろからボウボウと火を付けます。やけどを負ったタヌキに、唐辛子入りの味噌を薬だと言って背中に塗り、タヌキは痛みで苦しみます。さらに、ウサギはタヌキを漁に誘い、泥船に乗せて溺れさせます。助けを求めるタヌキをウサギは艪で沈めて溺死させ、復讐を果たします。
勧善懲悪のおとぎ話としては、あまりに残酷なストーリーです。一思いに成敗するのではなく、じわじわと陰湿なハラスメントによる懲罰です。
何故、タヌキはウサギを信頼し、疑わなかったのか。太宰治の小説「お伽草子」の中の「カチカチ山」では、タヌキがウサギに徹頭徹尾、惚れていたのだという、中年男の美少女への恋物語として描き、愚鈍なタヌキに心から同情しています。
この物語には、報復の連鎖が見られます。まず、生活を脅かすほどの被害でもないのに、爺さんがタヌキの命を奪い、食べてしまうという報復手段に出ますが、それが裏目に出て、最愛のお婆さんを失うばかりではなく、食べてしまうという残酷な悲劇を生み出します。
タヌキはお爺さんの意を受けたウサギの報復を受けることになります。もしも、お爺さんがタヌキを諭すだけにしていたら、このような報復の連鎖は生まれなかったでしょう。
この物語は、地球上から戦争がなくならない人間の社会を連想させます。戦争に使われる武器は、刀剣・弓矢から鉄砲、大砲、毒ガス、原爆へと次第に巨大化・狂暴化していきます。
ところで、兎は今やペットとして飼われますが、昔は畑に害を及ぼす野兎として見られたのでしょう。可愛いというより、ちょっと狡い動物とされています。
その物語が「因幡(いなば)の白兎」。「大国主命」という神様の国づくりにまつわる話の一部で、古事記にも描かれています。隠岐の島に住む兎が、因幡の国に渡るためにワニザメをだましてずらっと並ばせ、背中の上を渡って成功。しかし、いざ降り立とうという時に「お前たちは騙されたのさ」とからかったために、怒ったワニザメに毛皮をはぎ取られ、丸裸にされてしまう。通りかかった「八十神」といういたずら好きな兄弟の神様に「海水を浴びて、風と日光を浴びれば治る」と教えられ、その通りにして痛みはひどくなる一方です。
そこへ大国主命がやって来る。泣いている兎に「 真水で洗って、蒲(がま)の穂をつけておきなさい」と教えられ、するとたちまち傷が癒えて、毛も元通りになるという話です。
この神話の教え諭すところは、「不正直への戒め」と「思いやりの心を持っていれば、幸せな結末が待っている」ということでしょう。昔の説話には、常に教訓が伴うものです。
私事ですが、昔、経営・設計・デザインの研究所に勤めていたことがあり、年末になると、「お年玉付き年賀はがき」用に、その年の干支を描いた2種類ほどのデザインを作り、得意先の商店にチラシを送って宣伝しました。すると、洋品店、菓子店、飲食店などの商店の得意先が、自店の顧客名簿をもとに枚数を申し込みます。
当時のお年玉付き年賀はがきは、当選率が高く、しかもミシンや洗濯機など豪華賞品が目玉の人気媒体でした。商店にとっても、年賀状は顧客への一年の感謝の大切な挨拶状です。
こうして、流行りの筆ペンで顧客の宛名が書かれた年賀状が次々と届きます。所長が研修で各地を回って広報するので、その数は多く、一店平均200枚としても50店で1000枚ほどの年賀状が集まります。所員の中の二人がそれを持って、例えば「戌(いぬ)年」には、「忠犬ハチ公」(秋田犬)出身地の秋田県大館市の郵便局に運んで投函します。はがきには「今年の干支の○○にゆかりの○○町にて投函」という独自のスタンプを作って、押印します。
卯年の時には、兎を助けた大国主命を主神とする「出雲大社」の町の通便局に、私ともう一人が夜行列車で運びました。驚いたのは大量の年賀状を持ち込まれた郵便局です。今は省略されていますが、当時は年賀状一枚一枚に消印が押されました。しかし、局長はどこでも、快く引き受けてくれました。年賀状のはがきDMを届けた二人は、その町に泊り、ゆっくりと旅を楽しみます。いわば、ご褒美です。毎年、所員がペアを組んで順に各地へ旅しました。
チラシ・DMの紙媒体が宣伝物の主流だった時代の、アイデアマンだった所長の企画です。
時を経て、今やデジタルメディアの時代。所長ならどんな活用をするだろうか、と想像します。また、自分自身でもIT系で工夫を練ることは、実に楽しい時間だと考えています。
一般社団法人日本POPサミット協会
会長 安達 昌人
9月9日は「POPの日」(一般社団法人・日本POPサミット協会提唱)です。POP広告に関わる人にとって、記念すべき日だと考えます。
ちなみに記念日には、その商品や行事の起因となった期日や、日時の語呂合わせなどが基になったものがほとんどで、例えば、11月1日は「ワンワンワン」という鳴き声にちなんだ「犬の日」(一社・ペットフード協会)など、特にユニークな語呂合わせが話題になります。
ところで「POPの日」は、「909」の形から来た発想です。数字体を活かした例としては、10月10日の「目の愛護デー」(中央盲人福祉協会制定)。1010の数字を半分に分けて、それぞれ90度右に回転させると二つ並んだ眉と目の形になります。1947年に制定されていますから、長い歴史を持つ記念日です。
では「POPの日」は誰が発案者かと言うと、日本POPサミット協会の設立者であり、顧問であった故今津次朗先生です。かつて、手描きPOP広告全盛時代に、今津次朗、秋葉雄幸、中山政男、笠原正久、荒木淳(敬称略)の諸氏と一緒に「手造りPOP広告グループ」を結成し、交替で講師を務めて公開セミナーや研究会を盛んに実施したことがあります。
その席上で、今津先生が「9月9日はPOPの日です」と宣言し、その提唱に一同が感心したものです。「9」を反転して「P」と見るのは、面白い着想です。
ついでに言えば、アメリカの広告代理店「POPAI(POP広告協会)」と関連を持っていた川上嘉則氏が「POPをポップと呼ぶのは誤りで、米国ではポップはポピュラー音楽の略語、ピーオーピーと発音するのが正しい」と強調して、皆もそれにならうようにしました。
(日本POPサミット協会も、POPをピーオーピーと発音します。)
さて、アメリカのPOPAIが創り出したメーカー主体のPOP広告が日本に紹介されるや、たちまち商業者サイドの手描き売り場広告として全国に普及し、活況を呈しました。日本人本来の器用さと、それまでにポスターなどを描いてきた慣習から、筆を持つことに抵抗がなく、スムーズに売り場に取り込んだのでしょう。マジックインキ(株式会社内田洋行)の発売も、手描きに拍車を掛けました。欧米では、タイプライターの普及により、ペンで文字を書く習慣が早くに失われたと言われます。
その商業者サイドのPOP広告も、消費者志向の高まりによって、「売る」ツールから「買う」ツールへと、購買者サイドの媒体に進展して来たのは周知のとおりです。本来、POPの末尾の「P(Purchase)」は「買う・購買」という意味を持っています。
ところが、1995年にMicrosoftの「Windows95」が発売されたころから、パソコンが一般に定着し、パソコン作製のPOP広告が売り場を席捲するようになりました。誰にも容易に作れて、先端を行く目新しい売り場のツールに映りました。今もパソコン製が、売り場に掲示されているPOP広告の大半を占めています。チラシも簡単に作れます。
パソコン作成のメリットとしては、統一感、明瞭さ、手軽さが挙げられますが、デメリットとしては画一的で、活字印刷による単調さなどでしょう。
しかし、ある事件をきっかけに、手描きPOP広告が復活します。
これは今や伝説となっていますが、千葉県習志野市の書店「BOOKS昭和」の副店長木下和郎氏が、自分が感動した文庫本「白い犬とワルツ」(新潮社)に、手描きPOP広告を付けたところ、急激に売れ始めたのです。それほど人気の無かった同書が、何故この店だけ突出して売れるのかと、不思議に思った新潮社の営業マンが視察に来て、手描きPOP広告を見たのです。2001
年夏のことです。
新潮社は手描きPOP広告に効果があると知って、これをコピーさせてもらい、全国の書店に販促物として配りました。それから半年ほどで「白い犬とワルツを」は、150万部というベストセラーになったのです。
(当時の書店業界情報より)
「書店員が熱意を込めて推奨した本は売れる」とは、それ以前から言われ、実行する書店は少なくなかったようです。しかし、このニュースが、手描きPOP広告が販売促進の重要なツールとして認知され、復興の一つの契機となったことは明らかです。「読者が一人かもしれないという本にこそPOPを書く」とは、木下氏の言葉ですが、味わい深い文言だと思います。当時は、すでに新刊本の売れ行きが下落している傾向にあり、「現場で本を売る書店員こそ市場回復のキーマン」とみなされ、2004年には、全国の書店員の投票で選ぶ「本屋大賞」も生まれています。この話題は、書店業界ばかりでなく広く流通業界に知れ渡りました。
手描きPOP広告は、販売者の立場にあっては、自店の商品やサービスのメッセージに、手描きならではの独自性、即時性、注目性が活かされます。パソコン作製のプリントされた紙面とは違う、作る人の生(なま)の声が聞こえで来るようです。顧客の立場としては、商品の基礎的な知識から、ハイライフに活かせる有用で新鮮な生活情報を得ることが出来ます。まさに双方コミュニケーション媒体です。いわば手描きPOP広告は、日本独自の商業文化だと言えます。
今や、ブラックボードも普及し、手で描くことが日常的になってきましたが、パソコン作成が主流の陰で、手描きPOP広告に長い潜伏期間があったために、表現法の知識やスキルがまだまだ低いことは確かです。圧縮陳列で知られるディスカウントストアの広告が話題になりますが、それがPOP広告の描き方の基本だと思い込んでいる人もいます。また、訴える内容を重視して、表現を二の次にしている例も多く見られます。
しかしPOP広告は、メッセージ情報の重要性とともに、購買者にいかに効果良く見てもらい読んでもらうかの視覚性も同様に肝要です。顧客の関心を呼び、心に響かせ、購買に結び付けていくためには、その両輪の働きが大切であるかは、言うまでもないことでしょう。
手描きPOP広告を指導する人には、そうした心得と責任が肝心だと言えます。
このように、「声の聞こえる」手描きPOP広告は、店舗の販売促進の一つのツールであると同時に、POP広告からさまざまな販売促進活動が創出され展開されます。さらに、流通業界だけに限らず、介護施設から医療施設、交通機関、地域物産の販売所、モノ造りの現場、イベント会場、公共機関に至るまで、地域社会の各所で、いわゆる「パブリックPOP」としての多様な活躍が期待されます。つまり、きわめて広いキャパシティーを持つ媒体です。
といったわけで、「POPの日」に当たり、その大きな効果と役割を、今一度しっかりと確認していきたいと望む次第です。
一般社団法人日本POPサミット協会
会長 安達 昌人
店舗の外装は、「店の顔」と言われています。外装は「ファサード」とも呼ばれますが、フランス語(façade)で建物を正面から見た外観のこと。また「エントランス(entrance)」は、入り口・玄関の意味で、公共施設や、マンション、ショッピングセンターなど、規模の大きな建造物の入り口などに対して、よく使用される言葉です。
外装のデザインの狙いは、その第一印象で店舗のイメージをアピールすることです。
顧客の立場から見て「この店舗は、どんなコンセプトを持ち、どんな商品を扱い、どんな対応をするのか、どんな時間が過ごせるのか」などが、一目でわかることが肝心です。
店側(あるいは店舗設計業者)から言えば、どのターゲットを集客するかが、外装デザインの第一条件と言えます。どんな客層(特に新規客獲得)を狙いとするかによって、誰にも親しみやすい雰囲気にするか、落ち着いた格調高い構えにするか、可愛くポップな感覚にするかなど、ポリシーやイメージづくりが決まってきます。
また、広く集客を図る解放型か、顧客を選定するクローズ型かも工夫されます。ガラス面を広く取って、店内が良く見えるようにするのも、店のイメージを簡単に伝える開放型です。
さらに、同じ地域内にあっては、競合店との差異化を図ったこだわり感も重要でしょう。
こうした方針よって、外壁の素材や色調、看板、店名の書体、夜間のライトなどが設定されます。業種によって演出は異なりますが、木材を活かした天然素材の温かみを出すか、金属素材やタイルを使って近代性を出すか、アクリル素材で発色のいい色合いを見せるかなどさまざまです。
外装デザインは、出店地の環境にあっても考慮されます。繁華街や商店街など多種多様な店舗が並ぶ活気ある雰囲気の立地では、比較的自由に店舗デザインを決めることが出来ます。一方、ショッピングモールなど複合商業施設内では、施設全体のルールの範囲内でデザインが図られ、環境保存地域ではその規制(景観法など)に従うことになります。
店舗外装は、このように、いかに魅力的に顧客を惹きつけるかが重要ポイントになります。
では、店頭の事例のいくつかを見てみましょう。
「まんだらけ 変や」(東京・中野区「中野ブロードウェイ」)の入り口部。 「まんだらけ」は当施設を本拠地として、1階から4階までに30店舗を展開し、マンガ、アニメ、ゲーム、コスプレ、アンティークグッズ、ヴィンテージTOYなどの新品・中古品が溢れ、他の店舗では手に入らない「おたくグッズ」の探索に訪れる来店客は、1カ月に約10万人と言われます。「変や」はその1店で、不可思議な鳥居をくぐるとそこは「異世界」。超マニアックなの品々に出会います。「変や」の「変」は「変わり種」「変身」「異変」など、どうとでも解釈できる変化自在な言葉です。
「馬嶋屋菓子道具店」は、東京・台東区の合羽橋商店街の一軒で、セミナーと診断で伺った店舗。アーケード街で、外装は開放型。看板の隷書をアレンジしたような書体がユニークです。合羽橋は道具街としてどの店もが同じ商品を扱っているように見えながら、それぞれの店に独自の扱い商品と個性があって得意先を持っています。当店は創業70年の歴史をもち、オリジナル木型など和菓子職人用の道具が専門。店頭は一般客向けの日用雑貨を並べています。
「うだつ食堂」は、新宿区・早稲田駅(都電)付近で見た「徳島ラーメン」の店。「うだつ」とは、隣家との境界に取り付けた防火壁で、かつて訪れた徳島県美馬市脇町の「うだつ」の街並みが、重要伝統建造物の保存地域として見事でした。裕福な豪商の家にしか設けることができず、「うだつが上がる」とは富の象徴を示す言葉のようです。突き出した看板は、通行客の視線を捉える仕掛けでしょう。
「ボイン」(東京・北千住)は、当節に流行りの高級食パン専門店。その昔にヒットした月亭可朝の「嘆きのボイン」の一節「ボインやでー」を思い浮かべますが、しかし予想は外れて、「ボインと・はずむ食感・はずむ心」と店頭に表示され「ふくらむ、はずむ」の擬音語とのこと。
とは言え、宣伝効果を狙った意図もあり、人目を捉えます。
「蓄晃堂」は上野アメ横の中古レコード店で、この業界の老舗。ソウル、ブルー ス、R&B、JAZZ、レゲエから昔のJポップのLPまで揃っていて、散歩の途中でちょっと覗いて、店内でノスタルジックな気分が味わいます。「蓄」は「蓄音機」など音楽に関係がありそうですが、そこに光り輝く意味の「晃」を付けたのでしょう。
少し汚れたようなけばけばしい外装に、独特の「昭和」の雰囲気があります。
「コン太村」(東京・練馬区)は、店舗診断で訪問した「駄菓子屋ゲーム博物館」。駄菓子の販売と、今では懐かしい昭和時代に造られた約40台の10円ゲーム機が並び、実際に遊べます。館長(店長)の岸さんは、小学生の頃、近所の駄菓子店が閉店する時にゲーム機をもらったのをきっかけに、ゲーム機を収集してきて、後年に開店したもの。区の「空き店舗活用コンテスト大賞」などを受賞し、さまざまなメディアにも紹介。さらに「地域ふれあいステーション(お休み処)」として、情報発信スペースでは、地域情報、区内の産業製品、珍しい展示品も見られます。「コン太」の店名は清水稲荷神社の正面なので命名。外装のケヤキ板に書かれています。
「高木屋老舗」は、東京・葛飾区、柴又帝釈天の参道の店舗。明治・大正にかけて建てられた木造瓦葺の建物は、草団子と土産菓子販売、食事処です。山田洋次監督の映画「寅さん」シリーズの店舗とされた「とらや」はすぐ近くで、出演者や撮影スタッフ一同に部屋を貸して縁が深く、撮影当時の写真やゆかりの品々が店内に飾られています。屋根の上の前に傾けた看板がどっしりとした風格を感じさせます。
閉店後、この食事処の座卓を使って、POP広告の講習を実施しました。
「老北京火鍋料理蝎子王(しゃしおう)」は、東京・新大久保の通称コリアンタウンにある「羊肉中華料理」専門店。「蝎子」とは、一瞬、ぎょっとする名前ですが、羊の背骨のことで、背骨一本につながった形が「蝎(サソリ)に似ていて、この名がついたとのこと。
羊肉料理といえば、モンゴル系のジンギスカンが主流ですが、中華料理にも、羊肉使用の メニューがあり、羊蝎子(ヤンシェズ)でダシを取る鍋料理は、中国では300年の歴史を持つそうです。
真っ赤な看板の入口は派手で人目を惹くための演出。階段を降りた地下の店内はふつうのレストラン。北京出身の店長と奥さんの経営で、日本では唯一の羊蝎子火鍋の専門店とのことです。ただし、私が食べたのはランチの「羊肉入りラーメン」(650円)。口当たりの良い細めの麺の上に羊肉とモヤシがたっぷり。つゆの色は濃い褐色で、意外にコクのある薄味。羊肉がよく煮込んだ牛スネ肉のようで柔らかく、きわめて美味、
夜は、本格的な羊蝎子鍋が味わえるので、改めて出直すつもりです。野菜もふんだんに入れた火鍋は、ダイエットなどの美容効果で、女性客にも人気の様子。
ところで、通称コリアンタウンは、2010年ころの全盛期の面影は消え、「イケメン通り」「職安通り」も閑古鳥。閉店ラッシュの要因としては、急激な出店の破たんや、政治色の強いヘイトスピーチと過剰に盛り上がっていた韓流ブームの冷却化など。代わって今は、イスラム系や中国の店が増えていて、この蝎子王もその一つといえるでしょう。
「評判堂」は、川崎大師門前の仲町通の飴店。江戸時代の文久2年に菓子店として創業、味が良いと評判を呼び、世間に親しまれていたので「評判屋」と命名し、初詣で賑わう門前で営業を始めたようです。今は「元祖せき止め飴」「とんとんさらし飴」が主力商品で、トトトントンと景気良く、リズミカルに飴切り実演販売でお客の足を止めています。
初詣や各種寺社行事の際に、店頭に売り台で展示して、通行客に呼び込み販売です。
「松田ネーム刺繍店・コットンまつだ」は、福岡市・川端商店街の店舗。こちらは多分、同じ店が異なる店名の店舗を演出することで、品種や業態を変え、それぞれの顧客を誘引しようという戦略です。間口の広い店に見られる専門店化の手法です。
「なないち」は、山形市・七日町商店街の一画にある、ひときわ目立つ生鮮市場。山形多田青果株式会社の経営で、店奥には食肉、鮮魚の売り場もあります。店頭は「突き出し店舗」あるいは「延長店舗」で、各地でよく見られるスタイルですが、青果を前面に展示して客足を止めています。地元生産者とつながりを深め、鮮度の良さとお買い得で人気の高い店舗です。
「赤福」は、伊勢市・おかげ横丁の誰もが知る名物和菓子「赤福餅」の本舗です。いわゆる餅をこし餡でくるんだ「あんころ餅」で、中京・近畿の主要駅、サービスエリア、百貨店など広範囲に販売され、土産品として人気の高さが伺えます。
外装の看板に創業「宝永四年」(1717年)と記されていて、江戸時代の早い時期から300年間の営業を誇り、諸大名から伊勢参りの庶民にまで、伊勢神宮詣での土産として親しまれて来たのでしょう。今も、赤福餅2個に番茶がついて(220円)、店内で食べられます。
ただ、2007年9月、食品の表示に関するJAS法と食品衛生法違反で、農林省から報告書提出の指示、保健所より無期限営業禁止の厳しい処分を受け、マスコミの話題の好餌となりました。
昔ながらの「残品なし」「もったいない意識」から、「まき直し」(一時冷凍保管した商品の解凍日を製造年月日とし、それを基に新たな消費期限を再表示)、「むき餡、むき餅」(店頭から回収した賞味期限切れ商品の餡と餅を分離して再利用)などに対する処罰で、これは日本の生菓子製造業のふだんの慣習ともなっていたものです。
しかし、翌年の2008年1月に、諮問委員会のコンプライアンスの強化などの提言を受け、体制を整えて再出発しています。存続を願う地元の支持者も多かったのでしょう。
さて、外装は切妻破風のどっしりとしたシンメトリーの構えで、「下目板張り」が美しい日本の伝統的な木造建造物です。「赤福」の金色の文字が全体を引き締めています。
「虎屋ういろ」も伊勢市の本店。一般には「ういろう(外郎)」の名称の蒸し和菓子で、各地で売られていて「青柳ういろう」(名古屋市)も有名です。「虎屋ういろ」には「小倉ういろ」「栗ういろ」など10種類ほどのういろがあり、土産銘菓としてよく売れています。外装は、瓦屋根と下目板張りの木材が活きる、ゆかしい佇まいで、同様の店蔵が並ぶこの界隈は残しておきたい風景です。
「ぬた屋」は、茨城県古河市の甘露煮、佃煮を販売する名店。創業は明治30年(1986年)。黒板塀のある趣きのある店構えで、瓦屋根の上に、金文字入りの大型看板を載せています。周辺には宿場町らしい落ち着いた街並みが続きます。古河市には利根川と渡良瀬川に囲まれた水郷地帯が広がり、地元で獲れる小鮒の甘露煮のほか、鮎やエビなど佃煮も販売されています。古河市の「鮒の甘露煮」は、ウロコと内臓を取り去ってきれいに洗い、素焼きしてから秘伝のタレで煮込むとのこと。上品な味わいです。店頭入り口に置かれた木灯篭に「三神町」あるのは、武家屋敷があった時代の旧地名です。
「柏屋」は「薄皮饅頭」で名高い福島・郡山市の名店。薄皮饅頭は黒糖を使った薄い皮で餡を包んだ和菓子で、「日本三大饅頭」の一つとされ、ちなみに他は「志ほせ饅頭(東京)」、「大手まんぢゅう(岡山)」。こし餡と粒餡があり、私自身は甘さ控えめで小豆本来の風味の粒餡が好みです。創業は嘉永五年(1852年)と看板に表示され、170年の歴史を持つ老舗ですが、現在はリニューアルされてモダンな店舗。店内には菓子職人の手作り販売コーナー、イートイン、おくつろぎスペース、和菓子・ケーキコーナーもあり、試食やお茶のセルフサービスもあって、観光バスのツアー客も訪れて賑わっています。
広い解放感のガラス面と照明の演出、木製看板、真っ白のシンプルな暖簾がすっきりと清潔で、一流店の印象を伝えています。
以上、自分の行先で撮った外装写真を何点か紹介しましたが、皆さんもぜひ、おしゃれな外装、ちょっと目を惹く外装、気に入った外装があったら、スナップしておきませんか。
一般社団法人日本POPサミット協会
会長 安達 昌人
自分の暮らす東京都「足立区」が誕生して、今年度は90周年の節目の年になります。昭和7年(1932年)10月1日実施の制度改革により、当時の「北足立郡」が足立区となったもの。
区では90周年を記念して、さまざまなイベントを実施していますが、その身近な例の一つが「㊗レシートde90周年」です。
地域客が、区内の「登録店」(現時点で1,394店)で買い物をし、「㊗スタンプ」の押された900円以上のレシートを9枚集めて申請すると、「区内共通商品券」2,000円分がプレゼントされるというもの。
さらに、「特別店」(あだちの輝くお店セレクション選出店)の、朱色の㊗スタンプが押されたレシートが1枚以上含まれていれば、500円分追加され、計2,500円分の「区内共通商品券」がもらえます。スタンプ押印期間は、本年4月1日に始まり5月31日まで。
なお、登録店は2月1日からの募集で4月28日に締め切られ、事業協力金として、1万円が支給されます。
「9」の数字を活かして、明快で分かりやすく、ユニークな企画だと思います。
区の産業経済部商業振興係と、商店街振興組合連合会のコラボ催事です。
実は今、知り合いの店舗や飲食店で、8枚の㊗レシートを受け取っていて、月末までにあとの1枚を、どこのお店で確保するかを目下思案中です。
今一つの関心高いイベントは、「昭和のあだち写真展」、サブタイトルは「~写真に刻まれたエピソードとともに~」。
「あだち広報」4月10日号が「昭和時代の足立区を振り返る」を特集し、区民から写真や資料を募集したところ、多くの人達からの提供がありました。
写真展は5月8日の中央図書館での開催に始まり、地域図書館(14館)で、現在、巡回展示中です。
早速、近くの図書館で開催中の展示を観てきました。
テーマは「あだちと戦争」「あだちの風景」「あだちの人々」。
昭和は、志那事変、太平洋戦争と、まさに戦禍の時代です。出征する父と武運長久を祈る家族たちの記念写真、軍歌と日の丸の旗に送られ戦地に派兵されて帰り来ぬ人たち。モノクロの映像が、胸を痛めます。
「あだちの風景」では、「お化け煙突」で親しまれた「千住火力発電所」の4本の煙突も登場。見る位置によって4本が、3本、2本、1本に見えるもの。昭和36年(1963年)まで稼働していて、「煙突の見える場所」などの映画化もされました。自分も初めて上京した時、「お化け煙突」を見に行った記憶があります。
「あだちの人々」では、タライに小舟など浮かべて遊んでいる子供たちの表情は、純朴そうです。塾などの無い時代は、自由な遊び時間が多かったのですね。
この写真展には、保管されていた戦時中の品々、呉服店などお店の写真、田植え風景、さらに最盛期には牛が90頭もいたという牧場まで、きわめて多彩です。
ノスタルジアというよりも、記憶を朽ちさせてはいけない大切な時代の記録だという感慨です。「昭和のあだち写真展」は、ネット検索でも観られます。