令和2年(2020年)10月17日
一般社団法人日本POPサミット協会
会長 安達 昌人
新型コロナウイルスの影響で中断していたNHKの2つのドラマが、放映を再開しました。
大河ドラマ「麒麟が来る」と、朝の連続テレビ小説「エール」です。「麒麟が来る」は、明智光秀に関心を持って、「エール」は、今年の3月に福島市に出張の際に、駅前に設置された古関裕而のハモンドオルガンを弾く銅像に出会って以来、観ています。どちらも留守録にして、就寝前に視聴。また「NHK+」をパソコンとスマホにインストールしたので、いつでも視聴可能です。
「麒麟が来る」(長谷川博己主演)の主人公の光秀は、その出自が不詳で、清和源氏の土岐支流である明智家に生まれたと言われながら、父親の氏名も不明な低い身分とされます。
ただ、青年期に、美濃の国主の斎藤道三や越前国の朝倉義景に仕え、後に、足利義昭が征夷大将軍に就くにあたって、織田信長への仲介者として光秀が資料に登場するのは確かです。
その後、信長の家臣となって、越前一向一揆殲滅戦や比叡山焼き討ち、その他数々の戦いで、織田軍の先鋒となって武功を挙げ、戦略家としても活躍し、信長の深い信頼を得て感状(表彰状)を受けています。にもかかわらず、「本能寺の変」を起こして信長を討ち、三日天下で羽柴秀吉軍に急襲されて、山崎の戦いで敗北した末路は、よく知られている通りです。
こうした謎の多い明智光秀と不可解な本能寺の変のために、「麒麟が来る」放映にあたって、多くの光秀関連の本が書店に並びました。光秀の子孫という明智憲三郎著「本能寺の変431年目の真実」は、面白い読み物に仕上がっていますが、おそらく逆臣光秀の汚名をそそぐために書かれたものと思われます。
さて、「麒麟が来る」の光秀の半生記は、確たる資料がないため、ドラマの前半分部は、ほとんどが創作でしょう。正義感を貫く勇壮果敢な若武者とし登場しています。しかしむしろ、本木雅弘演じる斎藤道三の個性が強烈で、その陰に隠れてしまっていた印象です。
そして、放映再開で登場した最近の光秀は、今の段階で、まさにマネージメントコンサルタントの役割を演じています。足利義昭の将軍擁立を支援する大名を、情報収集し観察して選定し、折衝する人事を担っています。また、信長には日本の主要地域を制覇するための経営戦略を提案しています。光秀が、頭の中にコンピュータを入れて、今日の経営診断士と同じような活動をしている状況を、興味を持って見ているしだいです。
大河ドラマは、本能寺の変と山崎の戦いを持って終わると思いますが、謀反の真相はミステリーです。信長の横暴な扱いに恨みを抱いた「怨恨説」、自分が天下を取ろうとした「野望説」、朝廷、徳川家康あるいはイエズス会などが背後にいるという「黒幕説」、関係の深い長宗我部元親の四国征伐を回避しようとする「四国説」など、諸説さまざまです。
徳川幕府で大きな勢力をもった「天海大僧正」は、明智光秀と同一人物だという説もあり、かなりの小説の題材になっています。日光に「明智平」という地名もあります。
ただし、もしも光秀が信長を裏切らずにいれば、信長は順調に天下を取り、光秀はより重要なポストに就いていた可能性が高いとも考えられます。ともあれ、常に時代の変化をしっかりと見極め、冷静な判断で綿密に行動する光秀の人生は、学べる点が多々あるものです。
放映再開した連続テレビ小説「エール」では、古関裕而がモデルの古山裕一(窪田正孝主演)が、西城八十作詞「若鷲の歌(予科練の歌)」の作曲のために、予科練(海軍飛行予科練習生)の霞ヶ浦飛行場(茨城県)に1日入隊しました。「若鷲の歌」は、予科練の募集のための宣伝映画「決戦の大空へ」の主題曲として作られたもの。《1943年(昭和18年)9月の発売で、翌年8月末時点でレコード販売枚数が23万3000枚というヒット曲です。》
最初は、気分を高揚する長調のメロディを準備していたのが、哀愁を帯びる短調の曲も作り、2つの曲を予科練性に直接聴いてもらい、後者に決定するという場面もありました。
そして、いよいよ軍部の慰問要員兼特別報道班員として、1944年(昭和19年)4月に、激戦地ビルマ(現ミャンマー)に派遣されることになります。今後、戦争をどう描くのか、戦時から戦後にかけてストーリーはどう展開するかが、興味の持たれるところです。
ところで、古関裕而は生涯で約500曲の歌謡曲を作曲し、軍歌だけでも「行ってくるぞと勇ましく…」の「露営の歌」や「暁に祈る」など30曲を生み出しています。
軍歌の作曲は、軍部からの依頼によるものでしょうが、歌謡曲として当時のレコード会社や新聞社、放送局(NHK)、また民衆の要望が作り出していったものでしょう。古関裕而はそうした時代の潮流に乗って「軍歌の覇王」と呼ばれるほどに作り続けたのです。
特別報道班員としては、作家の火野葦平、画家の向井潤吉が一緒です。当時、ビルマの戦況は悪化の一途をたどっていたのですが、彼らには全く伝えられず、現地に着いてその悲惨な状態を見て、愕然とするのです。制空権をとっくに失っていた日本軍は、食料の調達すらままならず、兵士は飢えて次々と命を落としていく最悪の状況だったのです。
戦後、火野葦平は戦犯作家として激しく攻撃を受け、公職追放処分も受けています。それが原因かどうか、1960年の53歳の誕生日の前日、自ら命を絶っています。
片や、古関裕而は、戦犯とはされませんでしたが、しかし、自分の曲で鼓舞された若者たちを戦地に向かわせたという自責の念はいつまでも消えなかったようです。
第二次大戦後は、「長崎の鐘」「高原列車は行く」「オリンピック・マーチ」その他、球団歌や校歌、映画音楽など、驚くばかりの多作ぶりを見せることになります。クラシック音楽を基盤とし、たとえ穏やかな曲調であっても、人の心を鼓舞するような躍動感を覚えます。
評伝の一冊に「日本人の欲望に応え続けたヒットメーカー」と書かれたように、生来の善意な人となりと才能の豊かさがうかがえます。
一方、今の日本は、アメリカの「核の傘」の下にあって、唯一の被爆国でありながら「核兵器禁止条約」に参加せず、軍事費も年々増加しています。
いつか憲法も改正され、日本は戦争のできる国に変わって行く恐れがあります。連続テレビ小説「エール」は、そうした日本の状況の抑制に一石を投じるドラマではないかと思われるのです。〈写真は福島駅前の古関裕而像〉